第二話:親子


「そうだ、拓人。 明日、買い物にでも行こうか。 拓人の夏休みいっぱいはここに居るつもりなんだろう?」

夕食の席でおばあちゃんは言った。 手には炊き立てのご飯が入った大きなお茶碗。 おばあちゃんといってもほとんどの人が連想する白髪だらけでよぼよぼのお婆さんではない。

おばあちゃんはまだ白髪よりおばあちゃん曰く[生粋の元気っ子・日本人の証]の黒髪のほうが多い。 顔にはたくさんのしわが刻まれているが、それは快活に笑うおばあちゃんの顔にあるとさほど気にならない。

つまり、ひとことで表すと『まだまだ元気で、たくましいおばあちゃん』なわけだ。

おじいちゃんは去年死んでしまったが、おばあちゃんはお葬式と火葬のとき以外、泣かなかった。おばあちゃんは家の隣にそこそこの大きさの畑と水田を持っているので、畑で実る野菜と水田で実る稲を売って生計を立てていた。

「買い物? もう買ってあるんじゃないの?」

おかずの漬物をつかみながらお母さんが不思議そうに尋ねた。

拓人はお母さんの言い回しになにか違和感があった。

おばあちゃんはうきうきした様子で答える。

「せっかく加奈子と拓人が来てくれたんだからね。 一緒に行ってみんなの好きなもの買ったほうがいいでしょ」

加奈子とは、お母さんの名前だ。 そしてそのとき拓人は違和感の正体に気付いた。

呼び名だ。 今までは拓人に遠慮してなのか、お母さんはおばあちゃんのことを[おばあちゃん]と呼んでいた。 おばあちゃんは『加奈子』と『お母さん』の呼び名を使い分けていた。 拓人の前で、『加奈子』と呼ぶことはあまりない。

これはつまり、いままでは拓人に配慮していたが今はお母さんに配慮していると言うことだ。

お母さん――否、『加奈子』は『お母さん』に甘え、『お母さん』は『加奈子』の甘えを優しく受け入れてやる、そういうことだ。
今回の離婚騒動で一番心に深い傷を負ったのは『加奈子』なのだ。 拓人ではない。 そんな傷心の『加奈子』を第一に思いやるのは道徳的に当然だといえた。

「いつもなら私達が来る前に勝手に買い揃えておくくせに」
「今日の分は買い揃えておいたんだけど、私は年寄りで物忘れが激しくて。 加奈子ならともかく拓人の好きなものをおぼえていなくってね。 …明日のほうが、荷物持ちさんが増えるしね」

『お母さん』がいつものように快活に笑った。

「人を荷物持ち扱いしないでよねー」

『加奈子』は無邪気に笑った。

こうして、『家族の食事』は続く。

拓人はおばあちゃんとお母さんより早く夕食を食べ終え、夕方まで昼寝していた部屋に入った。

ここは、昔おじいちゃんの部屋で、今はおばあちゃんもお母さんもあまり来ない、半ば物置と化したところだった。 そして、ここは拓人にとっての秘密基地でもあった。

拓人は部屋の隅に無造作に置かれたダンボールのふたを開けた。 テープは張っていない。

段ボール箱には、大量の本が入っていた。

すべて日本全国の伝承をまとめたものである。 この本の所有者は拓人ではない。 去年死んでしまったおじいちゃんのものだ。
おじいちゃんはこういうことを調べるのが好きだった。 『どうしておじいちゃんはそんなにこれが好きなの?』と訊いたことがあったが、そのときおじいちゃんは優しい笑顔を浮かべていった。
 
――『こういう、いかにも空想の産物のようなお話には、いつも隠された真実があるんだ。 おじいちゃんはそれを知りたくてこういうことをやっているような気がする』――

まだとても幼かった拓人はその意味をよく理解することが出来なかった。 だから何回も聞きたがっておじいちゃんを困らせたのをよく覚えている。

拓人はそんなおじいちゃんの影響があってか、各地の伝承を調べるのが好きだ。 その関係の本も大量に読み漁っているので、難しい漢字もなんなく読める。 簡単な古文なら、拓人も現代語に訳して読むことも出来る。 ある意味での天才少年だ。

拓人はすでに読んだ本をダンボールから出し、未読の本を探し始めた。

「あーっ、あったあった! これ前から読みたかったんだよね」

拓人は新しい玩具を買ってもらったかのように嬉しそうに言うと、本を床に置いた。 顔には満面の笑み。

そして、うつ伏せになって本を読み始めた。 本の題名からしてこのあたりの伝承をまとめたものだということが簡単に推測できた。

何故、拓人がこの本を読みたかったかというと生前、おじいちゃんに何度頼んでも見せてくれなかった本だからである。 おじいちゃんはこの本はまだ拓人には難しすぎると言った。

しかし、実際読んでみると全然難しくなどなかった。 拓人はすらすらと読み進めていく。

特に、面白い伝承もなく、半分以上が過ぎた。 段々と顔から笑顔が消え、本の内容に飽きてきた。
ふと、ページをめくる手が止まった。

拓人の視線はある一点に釘付けになっている。


その視線の先の文は―――


『運命を変えた話』

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